人の心配をしてる暇があるなら自分の心配をしろ
こんにちは。
イケハヤさんがVoisyでLIFESPANオススメだよって言っていたので「はぇ~、今度読んでみよ」って思っていたら、あっちゃんがYouTubeで解説動画上げちゃって謎の焦りを覚えています。
発売日9/16ですよ?クソ分厚いんですよ?あの人化けもんだろマジで。。。
さて、今回は「人の心配をしてる暇があるなら自分の心配をしろ」というテーマで書きたいと思います。よろしくお願い致します。
とは言ったものの、これタイトルで完結してないか?深堀りできんのか?って思いながら文字打ってますけど、その考えに至る経路をうまく言語化できるようにしますね。
僕がこの考えに至った理由をまとめると
・自分に精一杯なら周りを気にしている余裕はない
・自分に不安要素があるから相手を心配してしまう
・あなたが思っているより相手は大丈夫
・その人が失敗してもあなたに影響はない
・部下など影響がある場合は成長のための失敗だと思おう
・相手からしたら大体おせっかい
が挙げられると思います。
こんまりさん著の「人生がときめく片付けの魔法」でも
「他人の片付けられていないところを指摘したくなるのは、自分の片付けが疎かになっているサイン」という一節があります。
これは片付けに限った話ではなく俯瞰してみてみると、人生そのものに当てはまる話だと思うんですよね。
言い換えるなら「他人を心配してしまうのは、自分に不安要素があるサイン」
でしょうか。
相手を心配する前に似たようなジャンルの不安を抱えていないか一度考えてみましょう。
自分があやふやだから、他人がやっていると(大丈夫かな。。。)と考えてしまうのです。
どうしようもない時は向こうから来てくれます。
わざわざこちらから行く必要はないと思います。
他人が失敗したとしても自分に影響がないなら尚更ちょっかいかける必要はないと思います。
影響があるならそれはそれでそっと見守るべきだと思います。
過剰な心配をすることで成長を阻害してしまっていつまでもその関係が続いてしまいます。
しばらくは辛いかもしれませんが、心配しないレベルになるための投資だと思いましょう。
長い目で見たらその方がお互いのためじゃないでしょうか。
ここまで色々書いてきましたが、そもそも相手からしたらただのおせっかいなんですよ。
「宿題やったの!?」
「いまやろうと思ってたんだよ!あーあ、やる気なくしたわ」
この構図が生まれるわけです。
人の心配をするメリットはありません、時間と精神の無駄。
百害あって一利無し。まずは自分のことだけ考えよう。